*子どもたちへの法話として お通夜でも
広島県・三次(みよし)に嫁いで何度目かのお通夜の晩。亡き方を偲ぶ大切な仏縁に子ども・孫・親戚・地域が集まっていた。今ではすっかり珍しくなった、地域の集会所での手作りの通夜・葬儀であった。
何人かのお孫さんたちを見て、「ああ、この子たちとこれから仏縁が重ねられていくのだ」と自然と気合いが入った。しかし、葬儀後の還骨・初七日、そして七日参り・満中陰と続いた仏縁で、2度とお孫さんたちと会うことは出来なかった。
聞いてみた。
「孫は、学校や・スポーツ習い事が忙しくて」
正直腹が立った。
「じいちゃんの法事よりも学校が優先なのか?」「仏教は葬式の道具ではなく、遺族のこれからを支えていくものとして伝えていきたいのに!」
満中陰を勤めた数日後、思い直した。
参らない孫たちに一人で腹を立ててもそれは生産的ではない。
そして、気がついた。
あっそうか。まさに「一期一会」だったのだ。
ならば通夜に参ってくれたあの時が、最初で最後だったのだ。
「私に出来ることは何だろう。」
それから数年、その時の後悔を引きずる中で、お通夜でも絵本の読み語りを始めた。
法事の場ではこれまでも度々読んできたが、お通夜での読み語りは大いに躊躇した。
「どうせ坊さんなんて、お経を読んでいるだけでしょう」と斜めに構えている人もいれば、つきあいで仕方なしに座っている地域の方々も多い。
さらには、「絵本は子どものものだ」という先入観が強いので、大人の参詣者にとっては、「自分たちには関係ない」と思ってしまうようだ。
だから、読み語りを始める前の言葉かけは、今でも試行錯誤を重ねている。
これまでの通夜の場で最も数多く読んできたのが、この絵本だ。
ミズちゃんは子犬のパールの出産を見た時、「へその緒」のひもに興味を持ち、自分も数限りないいのちのつながりを受けて、お母さんから愛情いっぱいに生まれてきたことに気づくのだ。
(作者・草場一寿さんのこのシリーズは、私は大好きで全て読んできた。どれにも仕掛けがかくれているのが、興味を持ったもう一つの理由である)
通夜という場は、子どもたちにとってとても不安で悲しく、大好きな家族が涙流す姿は子どもにとってはつらいひとときとなる。大人も急なことで動揺しているので、その気持ちを言葉で伝えることはできず、子どもの気持ちをじっくりくみ取ることも難しい時間。いつもと違う時間が分けもわからず過ぎている中で、1冊の絵本がその場の空気を変え、世代を超えた話題、そして新たな思い出として共有される。まさに、絵本が持っている力である。
今では、葬儀会館の職員さんが「今日は小学生さんが00人、いらっしゃいます」と、私にそっと耳打ちしてくださるようになった。20年近い取り組みの中で、多方面に少しずつ受け入れていただいているようで、とても勇気づけられている。
(記:源光寺住職 福間玄猷)
今日の絵本:つながってる! いのちのまつり
草場一寿/作 平安座資尚/絵 サンマーク出版