絵本は人生のリハーサル『花のかみかざり』

2018年3月29日

 絵本は、私にとって人生のリハーサルであり、ふりかえりをする時になくてはならないものと思っている。
基本的に1種類の人生を生きることができない私たち。
そんな私たちが、絵本を通して違う人の人生を追体験できるもの。
そして、自分がいずれ迎えるであろう老・病・死について予習し、
いかばかりかでも心の準備を始めることができるものである。

祗園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらは(わ)す。
おごれる人も久しからず  唯春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ 偏に風の前の塵に同じ。
『平家物語』

 元々、この諸行無常という言葉は、お釈迦様の示した言葉であり、仏教の言葉。
世の形あるものはすべて移り変わっていく、常ではないということを示したものだ。
つまり、源氏や平家の栄枯盛衰だけを示したものではなかった。
ただ、これを自らのいのちの姿を教えている言葉だと受け止めている人は、少ない。
70代の母を半年ほどの闘病生活の後に亡くした40代の息子さんは、葬儀後の七日参りで、
「このたびほど、諸行無常という言葉が身にしみたことはありません」と涙を流し、うなだれた。

 諸行無常という言葉は、直ちに死のみを表したものではない。
私自身そして身内の老・病ということも、諸行無常の表れの一つである。
いつまでも健康で元気で長生きしたいと考えている私たちにとって、
老いや病ということは、普段考えたくないものである。
むしろ目を背けていることのほうが多いだろう。
しかし、目を背け続けてそれで済むかとなるとそうではない。
では、必ず我が身に迫ってくることであるなら、日常生活の中で少しずつその変化を想像し、
絵本を通して心の準備を始めておくことは、いざというときの衝撃を和らげることに大きく貢献すると思っている。

 その昔は、大家族・3世代同居も珍しくなく、兄弟・姉妹も多くいたことから、
様々な人生を身近に見聞きしながら生きていた。
だから、日常生活の中に老病死が当たり前に存在した。
そして、その老病死に翻弄される姿やだからこそ家族・親族・地域が助け合う姿も数多く見受けられた。
 今は、医療・介護・福祉の充実によって、日常生活の中に老病死がほとんど見られなくなった。
それは一見、幸せな文化的な生活と写るが、いざ自分が老病死を抱えたときの衝撃は、昔よりもはるかに大きくなっていると思われる。
 
 私は僧侶という立場のため、ご年配の方々と関わることが多い。
僧侶になったばかりの頃は、一人一人の表情に戸惑ったものだった。
特に、もの悲しいようなこわばった表情や、心の中を見透かすような表情を見ると、
こちらまで強い緊張を感じるようなことがあり、苦手だと思う方々も少なからずいた。
時が経ってふりかえってみれば、それぞれに老病死や人生の苦難を抱えている方々であった。
長年関わっていく中で相手の表情が変化し、時には、冗談をかわし、親のように激励をしてくださるようにも変わってきた。
そうか、関わり続けることでお互いが学び合い、成長しあえるのだ。これも諸行無常の一つの表れなのだ。
(記:源光寺住職 福間玄猷)

今日の絵本:
『花のかみかざり』 いもとようこ/作・絵 岩崎書店 
http://www.iwasakishoten.co.jp/book/b192064.html

投稿者について

福間 玄猷

1971年生まれ。本願寺派布教使・源光寺第14代住職 別名「絵本のお坊さん」 大阪府茨木市出身。平成8年三次市・源光寺へ入寺。《様々な経験を持った人々が集い、信頼できる温かなつながりを育む》そのような交流館を目指して、赤ちゃんからご年配の方まで世代を超えた活動を続けている。寺院や福祉施設はもちろん、各地の学校や保育所、コミュニティーセンター・いきいきサロンなどに招かれ、「いのち・こころ・真実を見つめる」ご法話や講演を重ねている。また、「子育て支援」「アドバンスケア・プランニング」「グリーフケア」を柱にした研修会も好評。子どもたちと富士山登山を3度完遂。グリーフケアアドバイザー1級/発達障害コミュニケーション初級指導者/つどい・さんあい 代表

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