敬老の日を通して見つめる『だいじょうぶだよ、ゾウさん』

2018年9月15日

9/17は、敬老の日だ。
敬老の日と聞いて、あなたはどんな場面を思い浮かべるだろうか。
地域の幼稚園児や小学生が、お年寄りと一緒に歌を歌ったり、肩たたきをして交流している
「いつまでも長生きをしてください」と書いたメッセージカードをつけてプレゼントに渡している
そのような場面は、お年寄りにとって、
自分の幼い頃や子育てで奮闘していた頃などを懐かしく思い出すひとときだろう。
また、目の前の子どもと自分の孫を重ね合わせて、この子たちの幸せを願う時間であり、
かわいい子らから生きる元気をもらう時間でもある。
そして、子どもたちにとっても、
無条件に喜び拍手を送ってくれるおじいさん・おばあさんの姿は、きっと心に残ることだろう。
だから、このようなひとときがずっと続いたらいいなあと思い、
「長生きしてください!」という言葉が自然にこぼれるのだ。

しかし、
「500年も長生きしています」という人は、
実際この世にいない。
どれほど「長生きしたい」「長生きしてください」と願ったとしても、
いのちは必ず終わるということ。
誰もが、そしてこの私が、必ず死ななければならないのだ。

ならば、
「年を重ねるということ」
「病気を抱えるということ」
「死ぬということ」
「家族を介護するということ」
「家族を看取るということ」・・・
誰もが通るこれらのことを、
「敬老の日」を通して考えたり語り合ったりして(予行練習)しておくことは、
いざ、自分や家族にその本番がおとずれた時のショックが和らげ、
その現実を受け止めるための支えになってくれることだろう。

この絵本は、ご法話に赴いた先のお寺さまでご紹介いただいたものだ。

おさないネズミは、ゾウに大変かわいがられ色々と世話をしてもらった。
ネズミは、ゾウが年をとり、やがてなくなっていくのだということを知ってしまう。
ネズミは、そのことがこわくてこわくてしまたなかった。
でも、ネズミは成長するにつれて、ゾウのお世話がたくさん出来るようになり、
「むこうの世界にいけば、ゾウは幸せになるのだ」とうけとめられるように、
心も大きく成長をする。
最期には、
「そう、きっとすべてうまくいくよ」とほほえみながら、
ゾウを送り出せるまでになった。

「死」を単に、不幸なことだ、縁起の悪いものだと退けるだけであれば、
いつまでたっても、その死から大切なことを学ぶことは出来ない。
「悲しいけれど」「寂しいけれど」
そこからも多くのものを学び取りながら、人間は、心を豊かにしてきたのだ。
それは、事件や事故や災害の関わる死についても、例外ではない。
私自身、世の中のどんなことからも大切な何かを学び取りながら、
心を成長させていきたいと思っている。
(記:源光寺住職 福間玄猷)

今日の絵本:
だいじょうぶだよ、ゾウさん
ローレンス ブルギニョン/作 ヴァレリー ダール/絵 柳田邦男/訳 文溪堂
https://www.bunkei.co.jp/books/details.php?9784894234383

投稿者について

福間 玄猷

1971年生まれ。本願寺派布教使・源光寺第14代住職 別名「絵本のお坊さん」 大阪府茨木市出身。平成8年三次市・源光寺へ入寺。《様々な経験を持った人々が集い、信頼できる温かなつながりを育む》そのような交流館を目指して、赤ちゃんからご年配の方まで世代を超えた活動を続けている。寺院や福祉施設はもちろん、各地の学校や保育所、コミュニティーセンター・いきいきサロンなどに招かれ、「いのち・こころ・真実を見つめる」ご法話や講演を重ねている。また、「子育て支援」「アドバンスケア・プランニング」「グリーフケア」を柱にした研修会も好評。子どもたちと富士山登山を3度完遂。グリーフケアアドバイザー1級/発達障害コミュニケーション初級指導者/つどい・さんあい 運営委員

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