「私のお墓の前で泣かないでください」
阪神・淡路大震災後の2003年、
新井満さんの「千の風になって」を初めて聴いた時、その歌詞に衝撃を受けた。
それまで日常会話の中で口にするべきでないとされていた、
「死」というテーマを正面から歌いあげたものであった。
「この歌が世の中にどのように広がっていくのだろうか」
強い関心を持っていた。
2006年に秋川雅史さんが歌いついだことで、
爆発的なヒットとなったのはあまりにも有名である。
私は、僧侶として大きなショックを受けていた。
多くの人々が、大切な方との死別やその後の苦悩を誰にも語れず、
心の中に封印していたこと。
恐れやたたりという形ではない、先祖とのつながりを強く欲していること。
何よりも私自身が、お通夜・お葬儀・ご法事という「死」に立ち会う役割をいただきながら、
目の前の人々の苦悩に十分寄り添えていなかったのではないかと気づいたからだ。
現代社会において、死は完全な終わりであり、敗北であると受けとめている人は多い。
だから、死に目を向ける恐怖は、著しく大きなものがある。
死は、「縁起でもない」ものであり、学ぶものは何もない。
「亡くなった人のことは忘れて、私らが楽しく過ごしたらええんや」
という遺族の言葉や昨今の健康ブームからも伺えるように、
死の事実を出来るだけ先延ばしにして、それにつながる老・病も
日常生活から遠ざけようとしている。
しかし、遠ざけようとしても逃れることの出来ない根本の問題だから、
漠然とした不安が常に心身を襲う。
その不安を、占い・墓相や家相などによって何とかなだめながら生きる人々や、
反対に先祖の霊魂に対するたたり・さわりとことさら取り上げて、不安をあおる人々も多くいる。
私自身は、浄土真宗寺院に生まれ、成長する過程で仏教・浄土真宗を学んだ。
さらに、僧侶となり、お葬儀やご法事・月参りなどを通して、ご遺族と関わり続けてきた。
その積み重ねの中で、老・病・死はいのちの真実の姿であり、あたりまえのことである。
死は、完全な終わりでもなく、敗北でもない。死は、つらく悲しいことであるけれども、
同時に、死の事実に向き合うことでしか得られないもの
-いのちの尊さ・生きることの厳しさと素晴らしさ・深い感謝や和解・真実への気づき
などがあることも体験してきた。
「千の風になって」の大ヒットに、ショックを受けた私は、
2009年・2013年の2回にわたって、東京での日本グリーフケア協会の認定講座を受講した。
看護師・介護士・葬儀関係者にまじって、
死別を経験された人々の苦悩やその後のプロセス、周囲の人々の関わり方などを学ぶことが出来た。
そして、自ら学んだ仏教を伝えようとする前に、
まず、目の前の人の苦悩やこれまでの日々に耳(そして心)を傾ける姿勢がなければならなかったのだ、
と気づいた。
それ以来、「どのような思い出がありますか?」と尋ねながら、
その人と時間・空間・仏縁を共有している。仏教やグリーフケアの学びを心に置きながら、
明日への一歩を歩みだそうとするその人と共にいる。
そして、その人の「あの悲しみがあったからこそ・・・」という言葉に、共にうなずいている。
今日も、お若い方のご法事をお勤めした。これからの長いご縁の始まりだ。
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