新型コロナ陽性者数が全国的にも減少し、お寺や地域行事も少しずつ再開されはじめているようです。
ただ、この3年近くにおよぶ影響は経済的な問題だけでなく、医療・福祉・教育などあらゆる分野にわたっています。そして、コロナ罹患後の後遺症やワクチン接種による体調不良についても、報道されるようになってきました。さらに、なかなか外見からは伺いにくい心理的な不調を訴える人々も少なくないと言われています。
誰かが、そしてどこかの専門機関が明確な指針を示せるなら、どれだけ安心でしょうか?
新型コロナ騒動について、専門家の中でも様々な判断が分かれる現実を私たちは体験しました。
ロシアとウクライナの戦争についても、誰もどこの専門機関も戦争終結のための道筋を示せないでいます。
実は、私たちが生きているこの世は、白黒・善悪・正誤などのように単純に判断できないものの方が多かったのかも知れません。一つの出来事でもその受け止めは様々で、条件や時の経過でその評価も変わっていく、まさに諸行無常なのでした。
将来の見通しが立たないことへの不安や怒りや焦燥感は、安心・安全を求める人間にとってごく当然のことです。だから、安心・安全が整わないことへの心理的な不調もごく自然なことですね。
では、私たちは、この諸行無常の中で何も出来ないのでしょうか?ただ、不安や心配におびえながらいのちを終えることを待たねばならないのでしょうか?
先週の金曜日も、小学校に読み聞かせに行きました。職員玄関のプランターには、きれいな花が植えてありました。校内のあちこちにも、花が生けてありました。うれしくなって、思わず写真を撮りました。
「花を見ることで和やかな気持ちになったり、草花に対する関心を持ったり、いのちに対する優しい気持ちを育てたい」という先生方の温かな気持ちが感じられてうれしくなったのです。さらに通学路の交差点角に、花を植えておられる方がありました。「元気に行ってお帰り。応援しているよ」という地域の方の願いが感じられて、私自身も勇気づけられました。
皆さまの身近な所でも、一人ひとりの願いが感じられる場面を発見できると思いますよ。