参詣者からの問い「左手はなぜ不浄なのか?」 私の応え「インドからの風習」では不十分

2022年6月22日

先日、源光寺で七回忌のご法事をお勤めしました。ご親族含めて12名という大人数でした。久しぶりに大勢のお参りに、私も気合いが入りました。新型コロナ騒動がやや落ち着いてきたことで、自粛一辺倒だった生活環境を見直す方が増えてきています。とても、うれしいことです。

「正信偈」を皆さんとお勤めし、御文章を拝読。その後、こちらの思い込みで一方通行にならないよう、皆さんとのかけあいをしながらご法話をしました。
かけあいの雰囲気に心がほぐれたのか、帰りがけに親戚にあたる一人の男性が声をかけてくださいました。
男性「ちょっとお尋ねしてもいいでしょうか?」
私「はい、どうぞ。どんなことでしょうか?」
男性「先日、妻の1周忌を地元のお寺さまに勤めていただきました。」
私「ああ、そうだったんですね。それは、お寂しゅうございました。色々大変だったでしょう」
男性「有り難うございます。その時、左手は不浄な手で、だからお念珠を掛けるのです。とお寺さまがお話になりました。なぜ、左手は不浄なのですか?」
私(困った。左手に念珠を掛けることは、私もお話をするけど、なぜ?と言われると・・・)「そうですね、それは古くインドから伝えられた習慣でして・・・。その理由と言われると、明確な根拠はわかりません。すみません」
男性「ああ、そうなんですね。有り難うございました」
私(ああ、せっかく気を許してお尋ねくださったのに、きちんとお応えできなかった。ご親戚だから、次に必ず会えるともわからず調べてお伝えしますとも言えなかった。僧侶としては、なんとも申し訳ない)

そこで、私のFacebookお友だちになってくださっている666人にお尋ねいたします。左手が不浄であるという捉え方は、何が元々の根拠となっているのでしょうか?もし、ご存じの方がおられましたら、ぜひ、ご教授いただけますでしょうか?どうぞ、よろしくお願いいたします。

投稿者について

福間 玄猷

1971年生まれ。本願寺派布教使・源光寺第14代住職 別名「絵本のお坊さん」 大阪府茨木市出身。平成8年三次市・源光寺へ入寺。《様々な経験を持った人々が集い、信頼できる温かなつながりを育む》そのような交流館を目指して、赤ちゃんからご年配の方まで世代を超えた活動を続けている。寺院や福祉施設はもちろん、各地の学校や保育所、コミュニティーセンター・いきいきサロンなどに招かれ、「いのち・こころ・真実を見つめる」ご法話や講演を重ねている。また、「子育て支援」「アドバンスケア・プランニング」「グリーフケア」を柱にした研修会も好評。子どもたちと富士山登山を3度完遂。グリーフケアアドバイザー1級/発達障害コミュニケーション初級指導者/つどい・さんあい 運営委員

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