コロナで延期になっていた、お寺さまのご法座に寄せていただきました。
それは、庄原市の妙延寺さまでした。
こちらのお寺さまには、私が広島に入寺してから大変お世話になっていました。
今はご子息に住職を譲られた前住さまが、県北若手僧侶の会「白鵠会」の当時の代表をされておられたのでした。その活動は、本願寺の数歩も先を行く画期的な出版・布教伝道で全国から注目をされていました。その中でも、白鵠会が企画を持ち込んだ『こころのお見舞い』という書籍は大ヒットしていたようで、私が大阪にいた頃から存じ上げていました。当時、本願寺の出版物の中でもフルカラーは珍しく、しかも「病床にある方にも仏法をお届けしよう」というコンセプトは、ほとんど初めてのものではなかったでしょうか。入寺当時右も左もわからなかった私が、今でもこうして布教伝道を続けておられるのは、白鵠会の諸先輩方との出会いとお育てがあったからに他なりません。
そのような懐かしさとお礼の気持ちを胸に秘めながら、寄せていただきました。
この度の法座は、他のお寺ではみられない「報公団法座」と言われるものでした。その歴史は、100年以上も昔にさかのぼるそうです。この「報公団」と名づけられる仏教会発足に関わったのが、近角常観師(1870-1941 大谷派僧侶)です。近角師の活躍は多岐にわたりますが、東京大学前に会館を建て熱烈な布教活動を行っていたことが特に有名です。その近角師に、当時の妙延寺住職・尾野慈範師が呼びかけて発足したとされています。また、この「報公団」発足がきっかけで仏教講話はもちろんですが、貧困と孤独の中にある子どもたちのための日曜学校がいち早く発足したとあります。さらに、親鸞聖人700回大遠忌記念事業として社会福祉法人「相扶会」が設立され、庄原市で最初の高齢者施設として運営されるようになったことも、この「報公団」の精神が引き継がれた証の一つと紹介されていました。
広島の田舎でありながら、長年にわたって高名な僧侶を招いて聴聞を重ねてこられた土地柄。さらに、十分な制度がない中、高齢者施設運営という実践を重ねてこられたご住職やご寺族、並びに地域の皆さまのご苦労。私のような若輩が寄せていただくには、もったいないご法座でしたが、これまでの妙延寺さまの歩みに思いを馳せながら、精一杯勤めさせていただきました。
お世話になった前住さまとも久しぶりにお目にかかることが出来て、古い時代の思い出を聞かせていただくことが出来ました。また、現住職さまとの法座後の法義談合は、とても充実したひとときでした。私自身、諸先輩方からの頂き物を次世代に大切に手渡していく役割があることも、ふと感じた2日間でした。