この時期は、母が作ってくださる「栗の渋皮煮」を食べることがあたりまえでした。
毎秋開催の「トーク&ライブ一期一会」では、役員やゲストの方々にもお出ししていた源光寺名物の一つでした。どなたもがその栗の大きさに驚き、おいしさや手間に感動されていました。
ところが今年は・・・。
あの大きな栗の木が、突如枯れてしまったのでした。地域の方にお尋ねすると、栗の木に虫がついたのではないかとのことでした。とても、ショックでした。
確かに、渋皮煮を作るのはとても手間がかかることを見ていましたので、無条件には喜べませんが、私にとっては毎年の楽しみの一つだったのです。
もう食べられないとなると、とてもさみしい気持ちです。これも、因縁生起(=物事は、様々な関係性の中に成り立っている)の証の一つなのですね。条件が一つ変われば、栗の木が枯れ、渋皮煮も食べられなくなるということを教えてくれているのでした。
そこで、変わりゆくことにおびえながら生きるというより、今このような条件が整っていることの不思議・尊さ・はかなさを一つひとつかみしめながら生きていきたいですね。
せめて、写真だけでもご覧ください。