本来、天気に善し悪しはない だから今日は雨の写真

2022年11月29日

天気予報だけでなく、会合での挨拶や何気ない日々の会話で、「あいにくの天気」「あいにくの雨になりました」と耳にすることがありますね。確かに、晴天と比較すると持ち物が増えたり、衣服がぬれたり、公共交通機関に遅れが発生するなど、不都合な部分があります。近年は、地球環境の変化に伴い、急激な降雨による災害発生も増えてきたという事実も否定できません。

今日、バッタリ出会った地域の方に
「お早うございます。雨になりましたね」
と、少し残念そうに声をかけたら、
「ええ、最近雨が少なかったので、畑の植ものにはちょうどいい雨です」
と、うれしそうな声が返ってきました。

そうなんです。雨に対する価値判断は、人それぞれなのですね。もっと言うなら、雨そのものに、本来善し悪しはなかったのでした。

私たちは、自分の都合でしかも無意識に、天気の善し悪しを判断してしまっていたのでした。さらに、その判断は、「あいにくの・・・」という言葉になっているだけでなく、気持ちや行動にも表れるようになります。しかも、その判断や言葉や気持ち・行動は瞬時につながり、多くの場合、検証されることなく積み重ねられていくのです。

自分のこの目で、身の回りをしっかり見ているように思っているけれど、すでにそこには自分や人間の都合という色眼鏡が入ってしまっており、それさえも気づけていない私たちなのです。

それは、私も例外ではありませんでした。ほぼ毎日更新しているこのブログについても、そこに添付する雨の写真はほとんどありません。いろんなものが写真映えする晴れはいい天気、という私の無意識な思い込みが根底に存在していたのでした。

ということは、私を客観的に観察できる存在に出会っておくことで、無意識の暴走に少しでもブレーキがかかるのではないかと思っています。私にとっては、そのブレーキが仏教であり、浄土真宗でした。

あなたにとって、無意識の暴走を抑えることの出来るブレーキは、どんなものですか?

投稿者について

福間 玄猷

1971年生まれ。本願寺派布教使・源光寺第14代住職 別名「絵本のお坊さん」 大阪府茨木市出身。平成8年三次市・源光寺へ入寺。《様々な経験を持った人々が集い、信頼できる温かなつながりを育む》そのような交流館を目指して、赤ちゃんからご年配の方まで世代を超えた活動を続けている。寺院や福祉施設はもちろん、各地の学校や保育所、コミュニティーセンター・いきいきサロンなどに招かれ、「いのち・こころ・真実を見つめる」ご法話や講演を重ねている。また、「子育て支援」「アドバンスケア・プランニング」「グリーフケア」を柱にした研修会も好評。子どもたちと富士山登山を3度完遂。グリーフケアアドバイザー1級/発達障害コミュニケーション初級指導者/つどい・さんあい 運営委員

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