天気予報を見ています。
今週末から来週にかけては、一番の寒さがやってくると言われています。
ここ三次市では昨年末に大雪が積もり色々大変でしたが、あの時よりも気温がさらに下がる予報が出ています。
(水道管の凍結を予防するなど情報を収集して被害をできるだけ回避できるよう、気をつけて過ごしましょう)
冬の寒さが厳しいほど、春の温かさが待ちどおしいですね。
目の前の現実を、善悪や好き嫌いのどちらかに分別してとして捉えるのではなく、
寒さも温かさもどちらも意味があると受けとめることが出来た時、
私たちの視野は少しずつ広がっていくのでしょう。
寒さも温かさも、それぞれに味わえるようになります。
では、悲しくつらい出来事に出遭った時は、どうでしょうか。
つい目をそらしたり、目先の楽しみでごまかしたり、感情に振り回されたりしますよね。
それが、人間の正直な姿でしょう。
そして、しばらく時間が経過した後に
「あの出来事にも何らかの意味がある。
あの出来事を通して、私は何を感じ考えただろうか?
あの出来事を経験した者として、これからどのように生きていけるだろうか?」
と真正面から向き合おうと思えた時、娑婆を生きるきる腹が据わってきた印といえるでしょう。
一人ひとりが抱えている煩悩が影響し合い、悲しくつらい出来事が多い娑婆(=この世)だからこそ、浄土からの光が届いていたのでした。
娑婆と浄土は、どちらにも意味があるのでした。