見たことはあったけど・・・ お釈迦さまの涅槃にちなんだお話

2023年2月22日

Mさんのお宅の月参りです。私・父・祖父と3代続いている月参りです。
今日のご法話(=仏さまのお話)のテーマを「遺言」としました。

私「遺言と聞いて、何を思い浮かべますか?」
Mさん「(両親がおりますので)書いておいてくれたらいいなあと思います」
私「うんうん」
Mさん「遺していく者への思いや願いが反映されますよね」
私「そうですね。実は、2月は仏教徒にとってとても大切な月とされていますが、何か思い出すことや想像するものがありますか?」
Mさん「えっと、何でしょうか?お釈迦さまの何かですか?」
私「そうですね。お釈迦さまの?」
Mさん「え~、4月8日は花まつりですが、その他に大切というと亡くなられたと言うことでしょうか?」
私「大正解!!そうです。お釈迦さまが亡くなられた日が2月15日で、入滅涅槃の日と伝えられているのです。では、ここで一枚の絵をご覧頂きます。これまでにもご覧になっていると思いますが、人間は不思議なもので、同じ絵でも時と場合によりその感じ方は様々変化があるそうです。今日は、これを見て何を感じられるでしょうか?」
Mさん「はい、平山先生の絵ですね。この絵は、あちこちで見たことがあります。鳥たちも集まっているんですよね」
私「では、この入滅涅槃にいたるエピソードをお聞きになったことはありますか?」
Mさん「それはありません」
私「そうですか。では、いよいよ私の出番ですね」

そこで、「自灯明 法灯明」という言葉とともにお釈迦さまの最期のお説法を紹介しました。
「お釈迦さま亡き後、私たちは何をよりどころにして生きて行ったらよいのでしょうか?」と涙ながらに問いかけたお弟子に対して、「私が遺した教えをよりどころに生きてゆくのだよ」と語りかけたお釈迦さま。

さらに、お釈迦さま入滅後、お弟子たちが取り組んだ経典編集(=結集)についてもお話ししました。
これらのエピソードから、お経はお釈迦さまから私たちへのご遺言であること。お姿はなくても、そのお言葉に触れる時、私たちはいつでもお釈迦さまにお会いすることが出来ること。その言葉に導かれて生きてゆくことが出来る心強さもお話ししました。

Mさん「初めて聞きました。とても勉強になりました」

その後、Mさんが取り寄せてくださった春のお菓子とコーヒーを頂きながら、ご両親の最近のご様子についての話に花が咲きました。

(今から整体と月参りがありますので、早い時間の投稿となりました)

投稿者について

福間 玄猷

1971年生まれ。本願寺派布教使・源光寺第14代住職 別名「絵本のお坊さん」 大阪府茨木市出身。平成8年三次市・源光寺へ入寺。《様々な経験を持った人々が集い、信頼できる温かなつながりを育む》そのような交流館を目指して、赤ちゃんからご年配の方まで世代を超えた活動を続けている。寺院や福祉施設はもちろん、各地の学校や保育所、コミュニティーセンター・いきいきサロンなどに招かれ、「いのち・こころ・真実を見つめる」ご法話や講演を重ねている。また、「子育て支援」「アドバンスケア・プランニング」「グリーフケア」を柱にした研修会も好評。子どもたちと富士山登山を3度完遂。グリーフケアアドバイザー1級/発達障害コミュニケーション初級指導者/つどい・さんあい 運営委員

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