「絵本のお坊さん-福間玄猷YouTubeチャンネル」をご視聴いただき、有り難うございます。
この動画は、2023年1月に源光寺でお勤めした御正忌法座の一コマで、本願寺派布教使・坂原英見先生(三次市東光坊ご住職)のご法話(朝席・前半)です。
■ご紹介:2023年源光寺御正忌法座ご法話 その1
https://www.youtube.com/watch?v=lsA8Rf4j2Lk
御正忌法座とは、浄土真宗の宗祖である親鸞聖人のご命日前後にお勤めになるご法座です。浄土真宗本願寺派本山である京都・西本願寺では、毎年1月9日~16日まで御正忌法要として賑やかにお勤めになります。
源光寺でお勤めした御正忌法座では、初めてお迎えしました坂原先生から、講題「若き親鸞聖人の言葉-生死出づべき道-を考えてみる」をいただきました。
坂原先生は、
親鸞聖人がご生誕(今年でちょうど850年を数えます)された当時の時代背景を象徴する出来事として「牛若丸と弁慶との伝説」を紹介されました。
それまでの貴族中心だった時代から、殺し殺されることがあたりまえの武士中心の時代へと大きく変化したことをお話しくださいました。
それは、「明日のいのちは、だれも保障されていない」といういのちの事実がそれぞれの身に迫った時代と言えるでしょう。
「明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」
これは、親鸞聖人が得度の式を受ける前に詠まれた歌と伝えられています。
その意味は
「今美しく咲いている桜を、明日も見ることができるだろうと安心していると、夜半に強い風が吹いて散ってしまうかもしれない」
というものです。
親鸞聖人が詠まれた歌ではありますが、そのような厳しい時代を当時の方々は生きておられたということです。でも、この歌に示されたいのちの姿は、現代を生きる私たちにとっても、決して単なる昔話で終わるものではありませんね。
さらに、親鸞聖人は、自分のいのちと桜の花を重ね合わせました。
「明日、自分のいのちがあるかどうか分からない。だからこそ、今生の苦悩を超えていける仏門に今こそ入りたい」
との決意を込められたのでしょう。
この法話視聴を通して、浄土真宗の教えがお葬儀・ご法事の単なる道具ではなく、苦悩を抱える人生の確かなよりどころとして受け止めていただけるものと思っています。いつでも・どこからでも・何度でもご視聴・お聴聞くださいね。さらに、若い世代にもご紹介ください。コロナ下でも法灯を絶やさない源光寺の取り組みを応援していただけると、うれしいです。
(法話配信にご協力頂いた坂原先生にも、心よりお礼を申しあげます)