「若い者に迷惑をかけたくない」
このようにつぶやくご年配の方々に、よくお目にかかります。そして、何かに追われるように、終活をされる方もいらっしゃいます。謙虚で気遣いの出来る方々だと受けとめる反面、このようにお声かけをしてみたい私もいるのです。
「本来は、若かろうが年を重ねようが、お互いに迷惑をかけながら生きてきましたね。だから、有り難う・すみません・お互いさま・お陰さまと、声をかけあいながら生きてきましたよね。どうか、堂々と年を重ねてください。そして、これまでの人生を振り返って、その一コマ一コマを聞かせてあげてください。さらに、年を重ねることで見えてきた大切なもの・ことを、身近な一人ひとりにつぶやいてください!」
今年は、9月16日が敬老の日ですね。敬老の日と言えば、可愛い孫がおじいちゃんやおばあちゃんにメッセージを書いたり、歌を歌って聞かせたり、お祝いのごちそうを一緒に食べたり、プレゼントを贈ったりという場面が思い浮かびますね。そもそも、「敬老の日」とは、どのような背景で制定されたものだったのでしょうか。国民の祝日に関する法律によれば、「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」ことを趣旨としています。
敬老の日の始まりは、当時の兵庫県・野間谷村の村長であった門脇政夫(1911年 – 2010年)が「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」という趣旨から開催したという説があります。私は、「年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」という部分に心ひかれました。翁-おきな・嫗-おうなという漢字からもわかるように、年配者に対する尊敬の思いを汲み取ることができるからです。長年時代の激変を生き抜き、人生の酸いも甘いも経験し、老・病・死を我がことと受け止めている一人ひとりのつぶやきや反省や願いを、次世代の私たちはもっと大切にしたいと思っています。