いい絵本だけど・・・。葛藤を抱えるお坊さん

2024年10月18日

私には別名がある。それは、「絵本のお坊さん」である。「絵本を書くのですか?」と尋ねられることがあるが、絵を描く才能は全くない。読む専門だ。
最近は、絵本仲間からの紹介で絵本を購入することが増えている。先日、『メメント・モリ』という題名の絵本を紹介された。作者は、Mrs. GREEN APPLE・大森元貴さんだ。このバンドに詳しい訳ではなかったが、ネットショップの星の数やレビューを拝見すると、とても好評であることが伺える。早速ポチリ。数日後、絵本が届いた。多くの方が日常では蓋をしているであろう「死」について、肯定的で前向きに表現している点が素晴らしかった。

「亡くなった人は、いつも見ていてくれていること」
「亡くなった人は、いつも心の中にいること」
「だから、いつでも会えること」
「亡くなることは避けられないけれど、今日までの幸せを数えたらなんてことない」

文字が少なく、やさしくてほのぼのする絵で、聞き手それぞれが自由に思いめぐらす「すき間」を与えてくれる。
ただ、絵本のお坊さんとしては、躊躇してしまう表現があるのだ。
「(略)天国にいってしまったおじいちゃん、おばあちゃん、ニャーゴに会いにいくために」
「天国」この表現を目にすると、自分が読み聞かせする絵本からは除外してしまう。「分別から離れよ」と学んでいる私であるが、「天国か極楽か」という分別に縛られている私である。

日本には、信仰の面だけでなく文化としても豊かに受け継がれている仏教。世界遺産に認定される有名なお寺だけでなく、コンビニを超える数のお寺があり、多くの僧侶や檀家・門信徒が物心両面で支えてきた。だけど、「天国」「神さま」という言葉に比べて、日常生活の場で「極楽」「浄土」「仏さま」という言葉を耳にする機会は圧倒的に少ないのではないだろうか?実は、絵本においても同じである。

悶々としながらYouTubeをいじっていると、『メメント・モリ』の動画がヒットした。視聴した私は、絵本版との表現の違いに気づいた。YouTube版では、「天国」という表現が出ていない。絵本の制作段階において、どのような意図で表現の違いが生まれたかは分からない。それはともかく、

「仏さまの世界に往き生まれていく慶び」
「遺してきた者を護り導く、仏さまとしての新たな役割」
「仏さまとなったご先祖の導きを受けて、生き抜いていける心強さ」
を絵本だけでなく、音楽や現代アート・芸能などの分野で表現してくださる方々が増えることを切望している私は、「絵本のお坊さん」である。

■ご紹介:Motoki Ohmori – ‘メメント・モリ’ Official Lyric Video
https://www.youtube.com/watch?v=Rlk3i0sEQR8

投稿者について

福間 玄猷

1971年生まれ。本願寺派布教使・源光寺第14代住職 別名「絵本のお坊さん」 大阪府茨木市出身。平成8年三次市・源光寺へ入寺。《様々な経験を持った人々が集い、信頼できる温かなつながりを育む》そのような交流館を目指して、赤ちゃんからご年配の方まで世代を超えた活動を続けている。寺院や福祉施設はもちろん、各地の学校や保育所、コミュニティーセンター・いきいきサロンなどに招かれ、「いのち・こころ・真実を見つめる」ご法話や講演を重ねている。また、「子育て支援」「アドバンスケア・プランニング」「グリーフケア」を柱にした研修会も好評。子どもたちと富士山登山を3度完遂。グリーフケアアドバイザー1級/発達障害コミュニケーション初級指導者/つどい・さんあい 運営委員

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