日々、国内外のニュースに触れる中で、
「一体、何を信じたら良いのだろう」
「誰の言葉を頼りにすれば良いのだろう」
と、不安や戸惑いを覚えることはありませんか?
戦争や災害、心を痛める事件や事故の報道に加え、巧妙な詐欺行為への注意喚起が、毎日のように私たちの耳に入ってきます。このような情報に囲まれて育つ子どもたちにとって、人々への信頼や未来に対しての夢や希望を抱き続けることは、とても困難になっていると思うのですが、あなたはどのようにお考えですか?
その困難な状況であるからこそ、「人の信頼を裏切るようなことは、してはならないよ」という基本的な道徳を伝えると共に、私たち大人が、ささやかでも夢や希望を持ち、前向きに生きている姿を子どもたちに見せていくことが、今、何よりも大切なのではないかと私は強く感じています。
今年は、太平洋戦争が終わってから80年という節目の年でもあります。その悲しみや反省から、平和を強く願う私たちです。しかし、「戦争反対」と言葉を発するだけでは、平和を実現することは出来ません。身近なところから「優しさ」を実践していくことが、平和への確かな一歩となるのではないかと考えるのです。
では、平和の実現のためにどのような実践が可能なのでしょうか?そこで、仏教には「和顔愛語」という言葉があることを思い出すのです。「和顔」はやわらかな顔、「愛語」はやさしい言葉。つまり、文字通り、笑顔で愛情のこもった言葉で話すことです。この言葉は『仏説無量寿経』に出てくる言葉です。法蔵菩薩が阿弥陀仏になるために修行に励んでいるところで、「和顔愛語にして、意を先にして承問す」とあります。現代語版では「表情はやわらかく、言葉はやさしく、相手のこころを汲み取ってよく受け入れ」と訳されています。この言葉は、学校での教訓になったり、額や書幅に書かれたり、ビジネスにおけるヒントとしてもおなじみになりました。
決して、特別なことではありません。この実践の一つひとつが家庭や職場、そして地域社会に温かな雰囲気を作り出し、人々の心に安心感と信頼感を育んでいく。そして、その小さな輪が広がっていくことでいずれは大きな平和へと繋がっていくのだと、私は信じています。これが、私自身の希望でもあります。
もちろん、人生は思い通りにならないことばかりです。悲しみや苦しみも、決して避けては通れません。しかし、仏さまの教えを拠り所として日々を歩む中で、私たちは、その悲しみや苦しみさえも、人生を豊かにするための大切な「糧」となり得るのだと、教えていただきます。