おせんべいから政策の一端を垣間見る

2025年2月14日


源光寺では、毎月お寺の子ども会(ルンビニー子ども会)を25年以上開催しています。
先日、その子ども会で配るおやつを買いに、近所のスーパーに行きました。
甘いものと辛いもの、それぞれを選ぶのが習慣になっています。
手に取ったおせんべいの包装を目にして、ふと気がついたことがありました。

原材料として使用されているお米に、外国産が含まれていることです。(国産米だけを使っていたおせんべいは一つでした。)
私は、とてもびっくりしました。

なぜなら、近年、我が国では、お米の消費量は減り米余りが続くために、減反政策が進められていると認識していたからです。せめて、おせんべいなどに使われているお米は、国産を使っているだろうと思い込んでいたのです。その時私が手にした米菓子のほとんどが、外国産米を原材料に使っていました。

様々な組織や団体で、米の消費拡大に取り組まれている(例えば、米粉の使用など)一方で、減反が進み、耕作放棄地が増え、外国産米を使ったお菓子作りが広がっている。この矛盾は何を示しているのでしょうか?この矛盾には、一体どんな政治的駆け引きがあるのでしょうか?たった一つのおせんべいから、日本や世界の食料事情とそれに関わる政策の一端を垣間見ることになりました。

長年聞いてきた農家の方のお米作りのご苦労、昨年の米騒動やここ数ヶ月の米価格の高騰、パンをはじめとする小麦製品の値上がり、そして今回の「おせんべい事件」が合わさって、「お米」について考えるようになりました。

あらゆるエネルギーの自給率が低い日本。主食であるお米でさえ、自給率が下がってしまっています。今後、大規模な米不足になった時、慌ててお米作りを復活させようとしても、それはこれまでの何倍もの労力と資材が必要になることは自明の理です。

でも、このような矛盾は、実は、お米だけに限ったことではないかも知れません。

日本(外国のことはわかりませんので)の政治家は、一体何を柱にして政策を積み重ねてきたのでしょうか?「日本の政治家」と、まとめて物をいうことはナンセンスかも知れませんが、そもそも政治に国民生活の安定を願うことはできないのでしょうか?もし、一部の利害関係者の言いなりで政策が決められてしまっているとするなら、それは望ましい形ではないと思います。

一方で、「どうせ、何も変わらない」という無関心は、「意見がないから、承知してもらっているものと思って続けました」という、政治家の言い逃れを認めてしまうことになりますね。

「主権が国民にある」って、どういう意味なの?
「国民が、国の政治のあり方を決め、それを実行する力をもっていることだよ。」
これは、小学6年生が社会科で必ず学ぶ「国民主権」の授業の一コマです。

政治家ではなく、本来私たち一人ひとりに主権があるという原点に立ち返りたいですね。
だからこそ、縁起(=あらゆるつながりの中に、私はある)という広く深い視野を持って生きていきたいです。

投稿者について

福間 玄猷

1971年生まれ。本願寺派布教使・源光寺第14代住職 別名「絵本のお坊さん」 大阪府茨木市出身。平成8年三次市・源光寺へ入寺。《様々な経験を持った人々が集い、信頼できる温かなつながりを育む》そのような交流館を目指して、赤ちゃんからご年配の方まで世代を超えた活動を続けている。寺院や福祉施設はもちろん、各地の学校や保育所、コミュニティーセンター・いきいきサロンなどに招かれ、「いのち・こころ・真実を見つめる」ご法話や講演を重ねている。また、「子育て支援」「アドバンスケア・プランニング」「グリーフケア」を柱にした研修会も好評。子どもたちと富士山登山を3度完遂。グリーフケアアドバイザー1級/発達障害コミュニケーション初級指導者/つどい・さんあい 運営委員

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