今日は、市内中学校の卒業式。朝方の気温は低かったけれど雨は降らず、まるで中学生の3年間の成長を祝うかのように、太陽も顔を覗かせていました。高校入試も終わり、あとは結果を待つばかりの、少し落ち着かない数日間かもしれませんね。
下校中の中学生を見ながら、幼稚園の頃にお寺で聞いたご法話を、ふと思い出しました。
「皆さんは幼稚園を卒業すると、小学校に入学し、小学生になりますね。
小学校を卒業すると中学生に、中学校を卒業すると多くは高校生になります。
高校卒業後は大学生や専門学校生、中には社会人になる人もいます。
そして私たちは、社会人としてひとり立ちをして、いわゆる「大人」と呼ばれるようになります。
ところで、その大人を卒業するとしたら、皆さんは何になるのでしょうか?」
大まかに、このような話だったのを覚えています。
「大人の卒業」があるとすれば、あなたはどのように考えますか?
そんなことは考えたことないかもしれませんが、この問いとその探究は宗教のみならず、一般的にも「死生観」という言葉で表現されています。
私は、大学生になり本格的に浄土真宗の教えを学ぶようになって、
「大人の卒業は、西方浄土への入学」と
聞かせていただきました。
「人間境涯を終えたとき、阿弥陀如来の働きによって摂め取られ、西方浄土に往き生まれることが出来る。娑婆世界で抱えていた煩悩や苦しみ悩み迷いを転じられ、阿弥陀仏と同じ光の存在となることが出来る」と、重ねて聞かせていただいてきました。
ですから、「大人の卒業である死は、西方浄土の入学という大いなる慶びである」とも。
「死が慶び」とは、おどろかれる方も多いかも知れませんね。私の理解という範疇を超えて、大いなる教えに導かれて、今ここに私がいます。
中学生の皆さん、卒業おめでとうございます。そして、新たな出発を応援しています。