瑞雲舎・井上みほ子さんから『つきのうさぎ』が届いた

2025年9月5日

ここ広島県三次市では、稲刈りが終わった田んぼがあちこちに見られるようになりました。季節の移ろいを感じる一コマですね。朝夕の気温がわずかに下がり始め、空の様子も変化が見えてきた今、耐えてきた暑さの反動で体調を崩す方が増えているようです。くれぐれもご自愛くださいね。

さて、毎年、澄んだ夜空に月が美しく映える頃になると思い出すのが、「月とウサギ」の物語です。日本だけでなく、世界各地に似たようなお話が伝わっているようですね。

昔々、その森にはウサギ、サル、キツネが仲良く暮らしていました。ある日、動物たちは力尽きて倒れている年老いた旅人に出会います。「何か食べ物を分け与えて助けよう」と考えます。サルは木の実を、キツネは川から魚を捕ってきました。ところが、ウサギはどんなに頑張っても、何も見つけることができません。自分の無力をなげいたウサギは、考えに考えました。そして・・・。

お釈迦さまの前生物語『ジャータカ』の一つとして、とても有名なお話です。さらに、良寛さまの長唄がきっかけで、多くの人々に受け継がれたとも知りました。瀬戸内寂聴さんはじめ何人もの方が取り上げて、絵本も数種類出版されています。私自身も、実家・西福寺だけでなく、源光寺の子ども会でも発表会の演目に取り上げたことがある、思い出深い作品です。

『ジャータカ』として伝わるこの物語を、私はとても大切にしてきました。しかし、小学校で読み聞かせたことはありません。学生時代の学びの中で、私の中に一つの懸念点がうまれたためです。それは、年老いたおじいさんに自分の身を捧げるために、ウサギが火の中に身を投じる場面です。さらに、おじいさんが元の仏さまにもどって、ウサギの布施の心(=無償の施し)を讃えて、月に昇っていくというエンディング。ここは一番尊い場面なのですが、受け取り方や紹介する者の意図によっては、「国のために命を捧げよと命じた、80数年前の戦時教育を思い起こさせる」ことにならないかという点です。

『LIFE』でご縁を結ばれた瑞雲舎の井上さんから、先日献本頂いたのが『つきのうさぎ』でした。井上さん自身も様々な想いを抱えながら構想を温め、今回の出版に至ったと言われていました。この『つきのうさぎ』には、今までとは違う発見がありました。

「おー 許しておくれ。
私はお前たちを試してしまった。
お前たちにまごころがあるのかどうか知りたかったのだ。
なんという愚かなことをしてしまったのだろう。
お前たちのまごころを疑った私をどうか許しておくれ」(本文は全てひらかな)

私がこれまでに読んできた『月のウサギ』は、身を捧げたウサギを讃えることに重点が置かれていました。しかし、今回の絵本では、老人の悲しみや嘆き・後悔を強く感じました。これは、良寛さまが涙を流しながら子どもたちにお話をされたこととつながるのでしょうか?この点が、作者・まつむらまさこさんの意図と同じかどうかはわかりません。ただ、よく知っている物語であっても、作者の意図で表現が変わり、絵本をめくった者の状況で焦点が変わることを実感しました。その意味からも、同じ絵本を年代超えて読み続けることの奥深さが、さらには、読後を互いに語り合う面白さもあることを再確認しました。つい、自分の都合を優先する私自身は、うさぎのように火の中に身を投じるほどのことはできません。ただ、大切な人のために自分がいま出来ることはなんだろうと常に模索し、一つでも行動に移すことは肝に銘じています。

薄っぺらい読後感になりました。もっともっと読み深めたいので、この『つきのうさぎ』はこれからも読み続けます。あなたも、ぜひ手に取ってみてください。

■ご紹介:『つきのうさぎ』まつむらまさこ/文・絵 瑞雲舎/発行
https://zuiunsya.com/works/archives/66

投稿者について

福間 玄猷

1971年生まれ。本願寺派布教使・源光寺第14代住職 別名「絵本のお坊さん」 大阪府茨木市出身。平成8年三次市・源光寺へ入寺。《様々な経験を持った人々が集い、信頼できる温かなつながりを育む》そのような交流館を目指して、赤ちゃんからご年配の方まで世代を超えた活動を続けている。寺院や福祉施設はもちろん、各地の学校や保育所、コミュニティーセンター・いきいきサロンなどに招かれ、「いのち・こころ・真実を見つめる」ご法話や講演を重ねている。また、「子育て支援」「アドバンスケア・プランニング」「グリーフケア」を柱にした研修会も好評。子どもたちと富士山登山を3度完遂。グリーフケアアドバイザー1級/発達障害コミュニケーション初級指導者/つどい・さんあい 運営委員

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