先日(8/17)の投稿記事をご覧になって、少し違和感をもたれた方もあるかも知れません。
「ご法事のお斎の席で、お肉やお魚がでるなんて!!」と。
これには、先日書き落とした背景があるのです。
お母さまの何度目かの七日参りの日、「正信偈」をご一緒にお勤めした後、いつものようにかけあいでお話をしていましたら、喪主である息子さんから、
「ちょっと聞いてみるんですけど、浄土真宗では、死は喜びなんですよね。浄土に生まれると言うことで!」
と問いかけがあったのです。
私はこれまで、七日参りの場でご遺族の皆さんから「死は喜びなんですよね」と問われたことがなく、びっくりするやら、うれしいやら。
「そうなんです。生前の仏縁を頂いていのち終えられたお母さまは、もれなく・必ず・直ちに浄土に往き生まれることが出来て、抱えてきた煩悩から解き放たれ、阿弥陀如来と同じ悟りの身と成らせていただけます。だから、今尋ねて下さったように、浄土真宗において死は喜びなんです。浄土往生おめでとうございます!とお赤飯をお供えする地域があるとも聞いています」
と声をかけました。
この息子さん。これまでに、お寺の聴聞(=法話会)に重ねて参られた経験はありません。源光寺のご門徒さんではありますが、年に一度の在家報恩講もお参りになったことはありません。どちらかと言えば、疎遠だった方です。
「ところで、そのことはどこでお聞きでしたか?」
と私がお尋ねすると、これまでのお仕事で、数多くのお寺さんとご縁があり、その付き合いの中で宗教談義・念仏談義を長年重ねてこられていたようです。
合わせて、海外の宗教事情にも関心が高く、宗教音楽にも傾倒され、「ニューオーリンズ」がご夫婦の新婚旅行先だったことも聞かせていただきました。現役のバンドマンでもあるこの方は、ニューオーリンズにおけるお葬式(ジャズ葬)と浄土真宗の「浄土往生のよろこび」を重ねて受けとめて下さっていたのでした。
だから、お母さまの満中陰では、お斎の際に次のようなごあいさつをされました。
「今日は、ようこそお参りいただきました。かつての従業員の皆さまにも集まってもらい、母も喜んでいると思います。浄土真宗ではお祝いと聞いたので、今日は楽しくやって下さい。本当に有り難うございました」
実は、お一人おひとりがそれぞれのタイミングで、宗教・仏教・浄土真宗にふれてくださっているのですね。そして、お母さまのご往生がきっかけとなり、さらに浄土真宗が身近なものとなって下さるなら、うれしいです。私も、ジャズ葬について調べてみました。こうして、ご門徒さんと様々な学び合いをしながらに年を重ねるのは、とても楽しいですね。