「極楽浄土」
この絵本は、まさに極楽浄土を描き出したものだ。
「仏説阿弥陀経」がモチーフとなっている。
あなたはこの言葉から、何を思い浮かべただろうか。
単なる空想の世界だ。
死んで帰ってきた人がいないのだから、わからない。
坊さんの勝手な作り話だ。などなど
本当に様々な声を耳にしてきた。
法事の場で勝ち誇ったようにこれらの言葉が投げつけられて、
正直、私は何度腹が立ったことか。
でも、この絵本に出会うまでは、その問いに下を向いて黙ってしまうしかなかった。
私は1971年生まれである。
年代からも連想いただけると思うが、
まさに科学的根拠に基づいたな西洋の近代教育を受けて大きくなった一人だ。
だから、
腹立ちながらも、その言葉の意図もわかる気がするのだ。
特に、バブル期には、あからさまに「お寺さん、お浄土の話をしても、誰も聞きませんよ!」といわれ、
私自身浄土真宗の僧侶でありながら、
お浄土というキーワードを避けていた時期がある。
でも、このように誤解されやすいことが
「なぜ、2500年以上も伝えられてきたのか」という疑問も捨てられなかった。
様々な文化・文明を生み出し、めざましい技術革新を重ねてきた人類だ。
その恩恵により、大変便利で快適な生活を享受している私たち。
しかし、物事にはやはり両面がある。
つまり、物質的な成長に反比例するように、見えなくなっているものも増えているようだ。
人間の理解を超えたはるかに偉大な存在への敬いの気持ち
今・ここに恵まれているいのちの不思議さや尊さ
これらは、頭で理解しているようで、
それを素直に感じる感性はどんどん鈍くなっているように感じる。
大人になり、様々な知識や経験、世間の常識が身についてくるほどに、
感性が鈍り、本来そこにあるもののすばらしさ・尊さが見えなくなってしまっているのだ。
極楽浄土を素直に感じられないのは、この私の感性の鈍さにあったのだ。
葉さんの絵は、その鈍い感性をもゆさぶり、大切なことを気づかせてくれたのだ。
人間は、娑婆世界だけで生きているのではない。
極楽浄土、そして阿弥陀仏とのつながり・みちびきの中でこそ、
今・ここ 私のいのちを輝かすことが出来るのだ。
(記:源光寺住職 福間玄猷)
今日の絵本:
コール マイネーム 大丈夫、そばにいるよ
葉 祥明/著 浄土宗/監修 角川学芸出版