ご門徒さん「阿弥陀さまとは実在した方ですか?」
私「いえ、阿弥陀さまは実在された方ではありません」
冒頭は、お釈迦さまと阿弥陀さまとの関係性において、よくあるお尋ねの一つです。
そして、このやりとりの後、多くの方ががっかりした表情をして話が終わってしまいます。
この時、いつももどかしい想いを抱える私です。
そして、多くの方ががっかりする背景を私なりに考えてみました。
それは、無意識な分別ではないかと気づいたのです。
人は瞬間に、「実在の人の実話」と「架空の人の物語」を比較し、そこに優劣の価値付けをしてしまっているのではないでしょうか?「実在の人の実話は優れていて、架空の人の物語は劣っている」という無意識が染み付いているのではないでしょうか?
実際に「阿弥陀さまや西方極楽浄土という架空のお話をするから、仏教や浄土真宗が一般の人たちに関心を持ってもらえないのではないですか?」と厳しいご意見を頂いたことが何度もあります。ですから正直に告白すると、ご法事の場において阿弥陀さまや西方極楽浄土についてのお話を控えた時期もありました。
それでは、私たちの日常生活で出会うドラマや映画、絵画・彫刻・工芸・建築・詩・音楽・舞踏などは、全てが「実在の人の実話」なのでしょうか?むしろ、「架空の人の物語」の方が圧倒的に多いのではないでしょうか?「ドラえもん」「アンパンマン」「となりのトトロ」・・・。数え上げたら、きりがありません。人類の歴史は、まさに、フィクションの歴史です。フィクションを生み出し、フィクションに出会い、共感し、涙を流し、時には怒りを表し、希望を見いだしてきたのです。生きる上で大切なことが フィクションを通して次世代に語り継がれてきたのです。
この写真は、あるご門徒さんのお仏壇の扉に施されていた蒔絵です。このような蒔絵を見ること自体、大変貴重になりました。あなたは、この2つの蒔絵からどんな物語を編み出すことができますか?史実にこだわらず、あなたなりの物語を自由に想像してみてください。