「月をさす指のたとえ」から見直す日常

2023年1月29日

夜中にぐずる我が子を抱いて、外に出たとしましょう。(この時季なら、寒いかな?)
夜空に煌々と輝くお月さまを見つけたあなたは、思わずこう声をかけるのではないでしょうか?
「00ちゃん、お月さまが出てるよ」と。
小学生にもなれば、これまでの経験から直接月を見つけることが出来て、その子はこうつぶやくかもしれません。
「あ、ほんとだ。きれいだね。うさぎさんもいるよ!」
でも、我が子がもっと幼かったら、どうでしょうか。
言葉と実物がつながっていませんから、自分ではお月さまを見つけることが出来ないかもしれません。
そんな時、あなたはどうしますか?
「なんて馬鹿なやつだ」と我が子を頭ごなしに怒るでしょうか。
そんなことをしたら、余計に子どもは泣き叫び、あなたは連れ合いから怒られるでしょう。
あなたは、夜空に輝くお月さまを指さして「ほら、あそこだよ」と教えてあげるのではないでしょうか。幼子は、あなたの指を見たあと、その指が指している先にあるお月さまを発見するでしょう。

では、幼子がいつまでも指を見ていたなら、あなたはこう声をかけるでしょう。
「この指は、おまえにお月さまの美しさを指し示すための手立てなのだよ。指ばかり見て、お月さまを見ることが出来なかったら、それはとても残念なことだよ。もう一度、お父さんの指の先にあるあのお月さまを見てごらん」と。

これは、仏教における「指月のたとえ」として長年伝えられてきたエピソードです。
私たちが日頃耳にしている経典の言葉は、いわばこの指にあたります。
私たちが本当に出会わなければならないのは、その先の月であり、それは経典の言葉が指し示した本質であり、真如であるのです。

そのように日常生活を見直してみると、この娑婆世界は私たちに本質・真如に気づかせる様々な手立てであふれていると言えますね。その手立ても、すべて仏さまの働きの表れなのです。だから、何気ない日暮らしの中で、仏さまの智慧と慈悲の導きを受けているということが出来るのです。

そうなのです。仏さまの導きに出会うのは、死後でもなければ、臨終でもないのです。まさに「ただいま=平生」なのでした。なんと力強い人生でしょうか。

月にちなんで、今日は絵本のご紹介。仏典説話集『ジャータカ』に由来し、お釈迦さまの慈悲を顕す物語が絵本になっています。

■ご紹介:『月のうさぎ』瀬戸内寂聴/文 岡村好文/絵 講談社/発行
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000199377

投稿者について

福間 玄猷

1971年生まれ。本願寺派布教使・源光寺第14代住職 別名「絵本のお坊さん」 大阪府茨木市出身。平成8年三次市・源光寺へ入寺。《様々な経験を持った人々が集い、信頼できる温かなつながりを育む》そのような交流館を目指して、赤ちゃんからご年配の方まで世代を超えた活動を続けている。寺院や福祉施設はもちろん、各地の学校や保育所、コミュニティーセンター・いきいきサロンなどに招かれ、「いのち・こころ・真実を見つめる」ご法話や講演を重ねている。また、「子育て支援」「アドバンスケア・プランニング」「グリーフケア」を柱にした研修会も好評。子どもたちと富士山登山を3度完遂。グリーフケアアドバイザー1級/発達障害コミュニケーション初級指導者/つどい・さんあい 運営委員

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