世の中に、「私と同じ人」は一人もいません。あたりまえのことのようで、実は時々忘れています。
同じ国の人であっても、同じ年代であっても、同じ地域の人であっても、同じ業種の人であっても、同じ家に一緒に生活している家族であっても、「私と同じ人」は一人もいません。
でも、普段の私は、相手の人と何らかの共通点があると、すぐ早合点して
「知っているだろう」
「経験しているだろう」
「きっと、このように思っているはずだ」
と思い込む傾向があります。
でも、それはほとんどの場合私の思い込みだから、いつの間にか相手と話がずれていってしまいますね。
そして、「どうせ、わかってもらえないんだ」と、これまた早合点して私も自分の殻に閉じこもってしまいます。
そんな自分の傾向に気づいてから、「相手のことは、その人に聞いてみないとわからない」。だから、私が話をする前に、まずお尋ねから始めるように切り替えました。
最近のご法事では、こんな話し始めです。
「(略)ただいまから00さんのご法事にあたりご法話をさせていただきますが、私の先入観・思い込みで話をしてはなりません。今日、皆さまがこうして源光寺のご本堂にお参りをされて感じたこと、考えたこと、思い出したこと、気になって尋ねてみたいこと、どんなことでもかまいませんので一言ずつお聞かせ頂いてから、お話をさせていただこうと思います。では、どなたからでもかまいません。よろしくお願いします」
すると、お参りになった方々から様々なお尋ねも返ってきて、私自身とても勉強になるのです。
これまでのお尋ねのいくつかをあげてみます。
「このお寺は、何年続いているのですか?」
「お坊さんなのに、なぜ髪の毛があるんですか?」
「お経には、何が書いてあるんですか?」
「今日お念珠が切れたんですが、何か悪いことがありますか?」
「お坊さんは、肉や魚は食べないんですか?」
「亡くなったお父さんは、今どうしているのでしょうか?」
「トルコの大地震を見ていると、信仰を持っている人たちがなぜ、あのような惨事に巻き込まれるのでしょうか?」
「阿弥陀さまは、実在の人ですか?」
「お坊さんは、幽霊を見ることがありますか?」
「あの世ってどんなところですか?」
「なんで、こんな派手なんですか?」
「死んだら、先に亡くなった人に会えるのでしょうか?」などなど。
その後、これらのお尋ねにお応えする形で、ご法話をさせていただくようにしています。
前もってどんなお尋ねが返ってくるかわかりませんから、お尋ねをする時はいつもドキドキします。その場でお尋ねの方の意図を充分汲み取れずきちんとお応えできないこともあり、お帰りになってから(もっとこのようにお伝えできたらよかった)と後悔することも多いです。で
すが、その緊張感を伴ったやりとりが、お互いのかけがえのない思い出に加わえられていくようです。亡き方のご法事を通して、ご遺族との「一期一会」の仏縁へと深まっていきます。
では、あなたにも一つお尋ねをさせてください。「ほとけさま」と聞いて、どんなイメージを抱きますか?
*昨日4月8日は、仏教の開祖・お釈迦さまのお誕生日でした。全国各地のお寺さまで、お釈迦さまのお誕生をお祝いする「花まつり」が開催されていました。
源光寺では、本日の永代経法座にあわせて「花まつり」を開催しました。