今日お寺さんにお話しできて、胸のつかえが取れました

2023年8月6日

私は、平和記念式典の様子を視ていました。8時15分の黙祷をすませ「平和への誓い」を聞いてから、ご門徒さんのお宅へお参りに寄せていただきました。

「自宅横にお墓を持ってきたので参ってもらえませんか?お忙しいと思いますが、8月6日ごろではいかがでしょうか?」
と、先日ご依頼いただいたお宅です。
立派に据えられたお墓。
私「これならいつでもお参りできますね」
と、ご夫婦にお声かけをしてお参りをさせていただきました。
二基ある墓石のうちの一つに戦死の記録があったので、お尋ねしました。
Fさん「父が中国で戦病死したのです。終戦後の話です。同じ部隊におられた方が、わずかなお骨を持って帰ってくださいました。さあ、源光寺さん、暑いですからどうぞ家に上がってください」
お仏間でお茶を一服いただく。お話は、ご自身の話へ。
Fさん「軍隊へ入れと言われましたが、すでに父が出征しており家を空けるわけにいきませんでしたから、私は、地元の軍服を作る工場で働くことになりました。時には、広島の工場(いわゆる旧広島陸軍被服支廠)まで生地を取りに行ったり、出来上がった軍服を届けに行く手伝いをしていました。広島原爆投下翌日には、広島市に入り多くの傷病者の救護にあたったり、亡くなった方を担いで川まで運び、油をかけて焼きました。当時は14歳ですからね、辛かったです。父は、その年の10月に亡くなりました。私は入市被爆ですから、三次に帰ってからも度々身体の調子を崩しました。あの時の様子を夢に見ることもありました。辛いことなので、誰にも話したことはありません」
私「私も初めてお聞きしました。タクシー運転手をされていたことは覚えていますが・・・」
Fさん「路線バスにも長いこと乗っていたのですよ。ある時、違う会社のバスドライバーから名前を呼ばれ話してみると、あの被服支廠で一緒に働いたことがある方でした。同じ苦しみを共にした人でしたから、思いがけない再会を喜びました。今日、源光寺さんにお話しできて胸のつかえが取れました。有り難うございました。」
私「私こそ、めったに聞けないお話を聞かせていただき、有り難うございました。Fさんのように92歳でもお元気でご自宅で生活が出来て、しかもご自身の戦争体験を直接お話しいただける方はもうおられなくなりました。今日は、本当に大切な時間をいただきました」
今日はちょうど広島原爆忌でもあったので、その後、正信偈をご一緒にお勤めしました。そして、ご法話の代わりに戦争に関わる絵本を読ませていただき、みんなで平和への思いをあらたにしました。

もし、今日8月6日でなければ、お聞かせいただくことはなかったかも知れません。今日の出来事は、自分の計らいを超えたまさに有り難い仏縁を感じました。

あなたにとって、今日どんな1日でしたか?

投稿者について

福間 玄猷

1971年生まれ。本願寺派布教使・源光寺第14代住職 別名「絵本のお坊さん」 大阪府茨木市出身。平成8年三次市・源光寺へ入寺。《様々な経験を持った人々が集い、信頼できる温かなつながりを育む》そのような交流館を目指して、赤ちゃんからご年配の方まで世代を超えた活動を続けている。寺院や福祉施設はもちろん、各地の学校や保育所、コミュニティーセンター・いきいきサロンなどに招かれ、「いのち・こころ・真実を見つめる」ご法話や講演を重ねている。また、「子育て支援」「アドバンスケア・プランニング」「グリーフケア」を柱にした研修会も好評。子どもたちと富士山登山を3度完遂。グリーフケアアドバイザー1級/発達障害コミュニケーション初級指導者/つどい・さんあい 運営委員

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