これは、私が一時期愛用していたラジオです。
大坂の実家は狭いお寺だったため、家族そろって寝る場所は、本堂でした。
実は、あの日以前にも小さな地震が頻発していたのです。
だから、地震があった時すぐ確認できるようにと、このラジオを枕元に置いて寝ていたのです。
そして、1995年1月17日午前5時46分。
震源地は淡路島北部、マグニチュード7.3を記録したあの阪神・淡路大震災。
大阪北部でも大きく揺れました。
初めて体験する揺れの激しさに恐怖を感じた私は、思わず大声を上げていました。
揺れが収まっても、しばらく布団から出られませんでした。
夜が明けまわりが明るくなると、仏具や供花が倒れ内陣が水浸し。
一部の棚から物が落ちていました。
その日以降は寝ながら、刻々と報道される各地の被害をはじめ、行方不明者や避難所開設・ボランティア受付・生活物資の配布などの情報を、このラジオで聞き続けました。
あの日以来、研修やご法話などで遠方に出かける時はいつも最悪を考えてしまいます。
かといって、周囲の人に不安を与えるのもいけませんから、いつも自分の心の中で思いめぐらすだけで終わっています。
先日、母の傘寿のお祝いに四国へ出かけた時も、万が一のことを考え、現地のハザードマップと避難所リストをプリントアウトしてこっそり持っていたほどです。
そして、今回も何事もなく無事に帰ってこられました。
ホッとしていた最中、トルコを震源とする大地震の報道が飛び込んできました。
やっぱり、思いがけないタイミングで災害は襲ってくるのですね。
テレビを通して視る映像からでも、その甚大な被害が感じられます。
最初の地震で助かった人の中にも、2回目の揺れによってビルが倒壊しその下敷きになっている方が相当数いらっしゃるようです。
今現在で、トルコ・シリア両国あわせて5000人がすでに亡くなられたという報道もあります。
報道を見るのがつらくなるほどの惨状です。
一日も早く揺れが収まり、救出活動によって一人でも多く方が助けられることを願います。
「明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」
これは、浄土真宗開祖である親鸞さまが得度の式を受ける前に詠まれた歌と伝えられています。
その意味は
「今美しく咲いている桜を、明日も見ることができるだろうと安心していると、夜半に強い風が吹いて散ってしまうかもしれない」
というものです。
さらに、親鸞さまは、自分のいのちと桜の花を重ね合わせました。
「明日、自分のいのちがあるかどうか分からない。だからこそ、今生の苦悩を超えていける道を見つけるために、今こそ仏門に入りたい」
との決意を込められたのでしょう。
今回の大地震についても、単に「除災招福をいのる」ことで終わるのではなく、
「いつの時代の人も、実は、明日のいのちは保障されていない」
という真実に立ち返ることから、再び始めたいと思いました。
今回の大地震で、このラジオを思い出しました。
電池を交換しスイッチを入れてみましたが、上手く視聴できません。
万一に備えて、新しいラジオを購入することにします。
あなたは、携帯ラジオをを持っていますか?