「若い者には迷惑をかけたくない」と、ご年配の方がつぶやく。
「迷惑をかけてまで長生きしたくない」と、若い世代がつぶやく。
確かに、この気持ちも分からないでもないが、あまりいい気持ちにはなれない。
いったいいつの頃から、このようなつぶやきが多く聞かれるようになってしまったのだろうか?
その昔は、長寿=幸せであり、「敬老」という言葉から伺えるように、年配の方を大切にする気風が強かったのではないだろうか?
ココで、お釈迦さまの出家の動機になったと言われる「四門出遊」のエピソードを紹介しよう。
仏教の開祖であるお釈迦さまは、まだ王子の位にあった若い頃、城外へ散歩に出て老人・病人・亡くなった人に初めて出会った。その出会いによって老病死の苦悩を知り、これまで王子として何不自由なく暮らしてきた自分も例外ではないことに気づいてしまう。王子自身も老病死の苦悩を抱えてしまう。そして、4度目の散歩で出会ったのが、真の道を求めて修行をしている修行者だった。その後、王子は老病死の苦悩に蓋をして世間の享楽に身をゆだねる道ではなく、その苦悩に徹底的に向き合い、超えていこうとする修行者の道を選ぶのだった。
このエピソードから、私たちは多くのことを学べるのだ。
あなたが年を重ねていくことは、次世代に
老病死の姿を見せ、その苦悩を知らせ、一人も例外はないことを教えることが出来るのだ。
そして、お互いに限りあるいのちではあるが、共に今を生きている(いえ、多くのお陰さまに生かされている)ことを気づかせることが出来るのだ。
さらに、私たち一人ひとりのいのちを等しく照らし、導いている大いなる働きがあることを伝え遺すことが出来るのだ。
だから、年を重ねることは迷惑ばかりではないのだ。
どうか、胸を張って年を重ねていただきたい。
むしろ、若い世代がお礼を言うことが本来なのではないだろうか?
「あなたが年を重ねていくありのままの姿を見せてくださることで、私は多くのことを学ばせてもらっています。有り難うございます」と。