かわいいだけじゃない いのちの原点にかえる『いつもいっしょに』

2018年4月15日

 仏教に布施という言葉がある。
布施とは、人に施(ほどこ)し与えることだけではなく、自分の欲を捨てさせて頂く行為である。
欲を捨てる行為であるから、自分が布施をしたことやその相手、施した物にいつまでも執着し、
見返りを求めてはならないとされている。
与えるだけならだれでも出来るように思えるが、見返りを求めてはならないという点は、なかなか難しい部分である。
日常生活でも
「00さんにお裾分けをしたのに、お礼の言葉がなかった」
「今、00さんに便宜を図っておけば、いずれ自分が困ったときに00さんがきっと助けてくれるだろう」
などという会話を耳にすることはないだろうか。
ギブ&テイクという耳慣れた言葉も、実は、見返りを求める人間の心情を表している。

 短い絵本である。かわいいくまやうさぎが登場する絵本。
だから、幼い子ども向きだと思って手に取るが、読み重ねていくうちに、
とても奥深い絵本だと気づいた。

 ひとりぼっちで寂しかったくまに、うさぎという友だちが出来た。
はじめはいろんなお世話が出来ることを、純粋に喜んでいた。
しかし、日々の世話を繰り返しお互いの関係性になれてくると、それまでなかった感情が生まれてくる。
「うさぎはぼくのことをどう思っているのだろう」
「なぜ何にも言ってもらえないのだろう」
「なぜなぜ・・・」
そして、うさぎはいなくなってしまった。
くまは悲しくなって、つまらないことを言った自分を責めた。
でも、それはくまの夢の中の出来事だった。
くまが夢から目を覚ましたら、なんとうさぎは横で眠っていたのだ。
そこで、本当にくまも目覚めた。
「何にも言ってくれなくてもいい。(見返りはいらない)。
あなた=うさぎさんがそこにいるだけで、ぼくは幸せだったのだ!」

 子育てにも共通すると思った。
十月あまりの間お母さんのお腹の中で成長してきた赤ちゃんが、無事にこの世に生み出される。
その場に立ち会っただれもが、無条件に「生まれてくれて有り難う」という純粋な気持ちになる。
しかし、その気持ちを何十年も絶やさず持ち続けることが出来るかというと、はなはだ難しいものがある。
昔の言葉に
「這えばたて立てば歩めの親心」
という言葉があるように、親をはじめとする大人は、次々に課題を与え、
その課題をクリアしていく子どもの姿に、一喜一憂するのである。
一喜一憂だけならかわいい話だが、そこに優劣や比較がついてくると大きく道を離れてしまうことになる。
「□□が出来ないあなたは、ダメな子ね」
「なぜ出来ない。00さんを見てごらん。△△が出来るのよ」
生まれただけで喜んでもらえていたあの時から、
様々な条件付きでしか認めてもらえないように変化していくのだ。
子どもとしても、大変理不尽な出来事だ。

生まれがたい人間に生まれてきた尊さを忘れて、
大人やその時の社会が認める部分でしか、その子の存在を受け止めることが出来なくなっている現代だからこそ、
とても大切な絵本だとあらためて気づいた。
子どもに読みながら、私もこの絵本を通して、いつもいのちの原点に立ち返っている。

(記:源光寺住職 福間玄猷)

今日の絵本:
『いつもいっしょに』 こんの ひとみ/作 いもと ようこ/絵  金の星社
https://www.kinnohoshi.co.jp/search/info.php?isbn=9784323013749

投稿者について

福間 玄猷

1971年生まれ。本願寺派布教使・源光寺第14代住職 別名「絵本のお坊さん」 大阪府茨木市出身。平成8年三次市・源光寺へ入寺。《様々な経験を持った人々が集い、信頼できる温かなつながりを育む》そのような交流館を目指して、赤ちゃんからご年配の方まで世代を超えた活動を続けている。寺院や福祉施設はもちろん、各地の学校や保育所、コミュニティーセンター・いきいきサロンなどに招かれ、「いのち・こころ・真実を見つめる」ご法話や講演を重ねている。また、「子育て支援」「アドバンスケア・プランニング」「グリーフケア」を柱にした研修会も好評。子どもたちと富士山登山を3度完遂。グリーフケアアドバイザー1級/発達障害コミュニケーション初級指導者/つどい・さんあい 運営委員

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