非日常の場で語った思い出が生きる支えに 『いのちの木』

2018年11月16日

森の動物たちは、大好きだったキツネが亡くなったことに大きな悲しみを抱えている。
そんな中、フクロウがキツネとの思い出を語り出す。
聞いている仲間もその場面がありありと浮かび、それぞれの思い出もよみがえってくる。
そして、その思い出は過去のものとしてとどまるものではなく、
仲間のいのちのちから・いきるささえとして大きく成長していく。

私が住む三次市では、時々海外からの高校生がやってくる。
中でも、カナダ・メイプルリッジ市からの学生交流は、長い間続いている。
数年前からは、私のお寺でもホームステイやお寺体験のプログラムを提供している。
本堂に入った彼らは立ったままで口々に「ワオ-」と感嘆の声を上げ、
「写真を撮ってもいいか?」と聞いてくる。
その一瞬のやりとりで、私の目から鱗が落ちた。

「お寺とは、本来このような場所だったのだ!」と。

一週間の滞在で様々なプログラムを体験し、カナダに帰る彼らが
「三次の皆さんの優しさに感動した」
「お好み焼きがおいしい」
「お寺での体験が印象に残った」
「また、来たいです」とつぶやくのだ。

私たちは、地元に住むものとして普段通りのことをしたに過ぎないのだが、
彼らのつぶやきを聞いて、こちらが感動するのだった。
そして、こんな田舎の山寺でも彼らの思い出になるのだと思うと、とてもうれしかった。
さらに、その喜びを思い出し振り返る中で、もう一つのことに気がついたのだ。
それは、
「非日常という旅が持つ力だ」

非日常であるからこそ、普段の生活では眠っている本人の感受性が呼び起こされ、
地元の者が当たり前だと見過ごしているささやかなことにも驚きの目を向け、
その一つ一つを思い出として刻み込んでくれているのだ。

これまで私は、老・病・死が日常生活から切り離され、お寺離れが進んでいる現代を、大変嘆いていた。
しかし、この「旅の持つ意味」に気づいた今、お寺が非日常になっているからこそ、
お寺に足を運び、本堂に座り、仏様を仰ぎ、お経を唱え、ご法話を聞く。
(僧侶にとっては当たり前に思ってしまう)その一つ一つの体験の中での、
気づきや発見がとても大きな意味を持つのだと気づいたのだ。
そうだ、
「僧侶自身がお寺という非日常(もっというなら、出世間)の場の意味を思い起こし、
それを参拝された方に丁寧に紹介し、その場に共にいることから始めよう!」
それ以降、
「今日一日は、日常の忙しさからしっかり身を離して、
亡き人や仏さまのこと、自分自身のこれまで・ただ今・これからについて、
じっくり見つめ、語り合う日にしてください」
とご法事でのご法話を重ねている。

(記:源光寺住職 福間玄猷)

今日の絵本: いのちの木
ブリッタ・テッケントラップ/作絵 森山京/訳  ポプラ社

投稿者について

福間 玄猷

1971年生まれ。本願寺派布教使・源光寺第14代住職 別名「絵本のお坊さん」 大阪府茨木市出身。平成8年三次市・源光寺へ入寺。《様々な経験を持った人々が集い、信頼できる温かなつながりを育む》そのような交流館を目指して、赤ちゃんからご年配の方まで世代を超えた活動を続けている。寺院や福祉施設はもちろん、各地の学校や保育所、コミュニティーセンター・いきいきサロンなどに招かれ、「いのち・こころ・真実を見つめる」ご法話や講演を重ねている。また、「子育て支援」「アドバンスケア・プランニング」「グリーフケア」を柱にした研修会も好評。子どもたちと富士山登山を3度完遂。グリーフケアアドバイザー1級/発達障害コミュニケーション初級指導者/つどい・さんあい 運営委員

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