最悪を想定し、最善を尽くす!?

2022年3月12日

今晩は、夕食で珍しく酎ハイをいただきました。明日の彼岸法座に向けておおよその準備が整いホッとしたので、晩酌をしました。9%の酎ハイでしたから、少し酔っています。日頃は、心を奮い立たせてお寺の仕事もし、ブログも書いています。読み聞かせで訪れた小学校では、「本当の強さは、どんな苦しみ悲しみからも学ぶことです!お金や権力や武力は、仮の強さでしかありません。皆さんのこれからも、応援しています」と元気よく声をかけます。
しかし、2週間におよぶ「ロシアとウクライナの戦争」とそれに関わる様々な報道には、目を背けなければ通常の心持ちを維持出来ないほど、揺さぶられています。しかも今晩は酔った勢いで、こんな投稿をしています。

私は新型コロナ騒動以降、「最悪を想定し、最善を尽くす」と常々自分に言い聞かせています。それは、11年前の東日本大震災による福島原発の出来事とも実はリンクしています。今となっては、福島第一原子力発電所のメルトダウンは国内外に周知の事実です。政府には数日中に報告されていたものの、私たち国民にはおよそ2ヶ月間、その事実が知らされることはありませんでした。「(公表が遅れたのは)国民がパニックになってはいけないから」と、政府の説明(=言い訳)を後日聞いたことを思い出します。私はその時、「国民も馬鹿にされたものだ」と怒りを覚えました。
しかし、同時に考えました。「私たちがパニックを起こすのは、どのような時だろうか?」と。全く想定外の出来事が起こった時、さらにその対処方法がわからない時、私たちはいとも簡単にパニックを起こすでしょう。一旦パニックを起こしたなら、現実をきちんと見ようとする力はなくなり、正しい判断はできなくなります。不安や恐怖の感情に振り回されて、根拠のないデマも鵜呑みにしてしまうでしょう。何かしらにすがりたい気持ちになり、誰かの指示に従いたくなります。そして、自分で考えて行動することをやめてしまいます。これらは、歴史の事実からいくつも拾い上げることが出来ますね。

新型コロナ騒動についても、そうでした。「日本の私たちは、他の国のように拡がることはないだろう」などと、その影響を楽観視していた時期もありましたね。確かに、人間は弱い動物ですから、現実を直視するより楽観的に物事を考えたいのは私も同感です。しかし、後から「こんなはずではなかった」と後悔するより、「この程度で済んでよかった」と思える方が良いのではないかと思うようになりました。

さて、あなたは「ロシアとウクライナの戦争」について、どのような最悪を想定し、どんな最善を尽くしながらこれからを生きていきますか?この度の戦争は、私にとって全くの想定外です。だから、皆さんの最悪と最善をまず収拾したいのです。さらに、「誰かから一方的に強制される将来」ではなく、「私が願う将来」を豊かに想像したいのです。

明日は、彼岸法座(=法話会)です。「今ここでの救い」と伝えられてきた阿弥陀如来の教えを、「自分ごと」として聞かせていただきます。

投稿者について

福間 玄猷

1971年生まれ。本願寺派布教使・源光寺第14代住職 別名「絵本のお坊さん」 大阪府茨木市出身。平成8年三次市・源光寺へ入寺。《様々な経験を持った人々が集い、信頼できる温かなつながりを育む》そのような交流館を目指して、赤ちゃんからご年配の方まで世代を超えた活動を続けている。寺院や福祉施設はもちろん、各地の学校や保育所、コミュニティーセンター・いきいきサロンなどに招かれ、「いのち・こころ・真実を見つめる」ご法話や講演を重ねている。また、「子育て支援」「アドバンスケア・プランニング」「グリーフケア」を柱にした研修会も好評。子どもたちと富士山登山を3度完遂。グリーフケアアドバイザー1級/発達障害コミュニケーション初級指導者/つどい・さんあい 運営委員

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