阿弥陀如来という仏さまは、単なる仏像ではありません。
内藤先生は、日常だれもが体験する交通渋滞の場面を再現しながら、「迷いの中にありながら、それを迷いとも知らず他者との善悪や勝敗に一喜一憂している私」を教えてくださいました。阿弥陀如来とは、「この私が小さな愚かな存在であることを見抜いた上で、その私を抱き取らずにおられないと働いていてくださる働きそのもの」とお話しくださいました。
迷いの姿という点では、お聴聞させていただいた私自身、耳の痛い部分も多かったのですが、ごまかすことの出来ない自分の姿だと知らされるご法話でした。でも、その私がすでに阿弥陀如来の働きに出遇わせていただいていたことも聞かせていただきました。なんとも不可思議で、心強いことです。
ご法話2へ続きます。
この動画視聴を通して、浄土真宗の教えがお葬儀・ご法事の単なる道具ではなく、苦悩を抱える人生の確かなよりどころとして受け止めていただけるものと思っています。いつでも・どこからでも・何度でもご視聴・お聴聞いただけます。さらに、若い世代にもご紹介ください。
■ご紹介:2022年源光寺永代経法座ご法話 その1
https://www.youtube.com/watch?v=DVjyJhbxUb4