日常生活において仏教を聞くと言うことは?

2022年7月16日

10年ほど前のことです。娘が通う学校で、道徳の授業を一コマ受け持ったことがありました。
事前の打ち合わせで、担任の先生にお尋ねしました。
私「どのような服装で行かせていただければよろしいでしょうか?スーツが良いですかね」
先生「いつもお話しされる時は、どんな服装ですか?」
私「はい、それは衣姿です」
先生「では、いつも通りでおいでください」
当日、廊下ですれ違う子どもたちからは
「あ、お葬式のかっこうや」とつぶやきが聞こえました。
無理もありません。
子どもたちにとっては、日常生活でお坊さんに出会うことはほとんどないからです。

では、お葬式・ご法事という非日常の場面にしか、お坊さんの役割はないのでしょうか?
私は、日常生活においてもお坊さんに出会い、仏さまの教えを聞くことに大切な意味があると思っています。
それは、「人間の原点に立ち返る」という意味です。

「心身相関」体と心は、密接に影響し合っているという言葉です。
日常生活において心配や不安が多くなってくると、それは体調にも影響が出ますね。
そして、グローバル時代の今は、エネルギー問題をはじめとして、私たちの日常生活にも遠く離れた国の影響が直結するようになりました。
さらに、世界中のニュースが瞬時に届きますので、悲しい出来事が報道されるたびに、心が揺さぶられてしまいます。常に、不安や緊張を抱えている状況とも言えるでしょう。その中では、感情にまかせて行動したり、事態の悪化を先読みして絶望感を抱いてしまうことがあるかも知れません。

そのような時こそ、「人間の原点に立ち返る」ことが出来る場所とご縁を大切にしたいのです。
私たち人間が苦悩を抱え(社会が混迷を抱え)るのは、何が原因しているのか?
その原因は、一人ひとりが抱えている煩悩であること。
その煩悩を超えた世界は、どのようであるのか?
その世界に至るには、どのような方法があるのか?
私たちは、本当はどのように生きていくことが出来るだろうか?

2500年以上にわたって仏教が伝えられてきたと言うことは、
いつの時代も混迷を抱え、人々が苦悩してきた証であり、
だからこそ、それを超えていこうと人々が真実を求め続けてきた証でもあったのです。
その真実が、私の手元にも届いています。
日常生活でこそ、仏さまの教えを聞いていきましょう。
このような世の中でも、欲望に暴走せずに、現状に絶望せずに生きていける道を伝えていきましょう。

今晩は、16年目に入った源光寺仏教入門講座です。

投稿者について

福間 玄猷

1971年生まれ。本願寺派布教使・源光寺第14代住職 別名「絵本のお坊さん」 大阪府茨木市出身。平成8年三次市・源光寺へ入寺。《様々な経験を持った人々が集い、信頼できる温かなつながりを育む》そのような交流館を目指して、赤ちゃんからご年配の方まで世代を超えた活動を続けている。寺院や福祉施設はもちろん、各地の学校や保育所、コミュニティーセンター・いきいきサロンなどに招かれ、「いのち・こころ・真実を見つめる」ご法話や講演を重ねている。また、「子育て支援」「アドバンスケア・プランニング」「グリーフケア」を柱にした研修会も好評。子どもたちと富士山登山を3度完遂。グリーフケアアドバイザー1級/発達障害コミュニケーション初級指導者/つどい・さんあい 運営委員

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