夕方、お寺に帰りましたら、
「いま、電話がかかっているよ」
と母。
私「どなたからですか?」
母「仏教の勉強をはじめて、ご住職さんに教えていただきたい」とのこと。
(へえ~、そんな熱心な方がおられるのだ!)と思いながら電話を替わった。
「今、仏教を学びはじめて、お寺さまに教えていただきたいと思って検索していたら、源光寺さんのホームページを拝見しました。いろんな活動をされているのですね。
ところで、今、世の中が大変乱れていますが、浄土真宗の救済とはどのようなものですか?」
これが、相談者の最初の言葉でした。
源光寺の活動を褒めていただいた上に、宗教上とても大切な問いを投げかけられて、
(これは、真剣にお応えしなくては!」とスイッチが入りました。
ところが、今となっては、30分以上続いた会話を全部録音し、すべて掲載したい気持ちです。
結論を申しあげると、その方はご自身の真剣な求道と研鑽のために源光寺に電話をされたわけではなく、日蓮宗の布教伝道のためだったことがわかりました。
途中から、法華経の不思議な法力の素晴らしさを饒舌に語りはじめられましたので、
私「あのすみません。このお電話は、どのような意図でかけられましたか?折伏ですか?はじめは、求道のためのご相談と思って真剣にお答えしていましたが、どうやらそうではなさそうですね。私は浄土真宗の僧侶です。それぞれが、よりどころとする教えに生きて、世に関わられたら良いわけで、わざわざこちらにお電話なさることは必要ありませんね。電話を切らせていただきます」
と受話器を置きました。(念のため、先方の携帯番号を番号通知で確認しました)
源光寺では、従来より電話や来坊で「悩み事相談」をお受けしています。ホームページにも記載しています。これは、かつて公的機関の電話相談員をさせていただいていた経験から続けているものです。「葬式仏教」と揶揄されるように、お葬式やご法事のみに僧侶・寺院の役割が終始してはならないと思っている一人です。「悩み事相談」は、今を生きる一人ひとりに、どのように沿いながら共に歩んでいくことが出来るかを長年模索する中での取り組みなのです。実際は、予期なく電話が入り(遅い時には夜11時頃にも)、相談内容や緊急度も様々です。15分程度で答えが明確に出せる仏事作法の相談から、これまでの経緯も丁寧に聞き出さないと簡単に答えが見えないご家族の問題などは、2時間ほどかかる場合もあります。ですから、相談の電話となるととても気分を使います。きちんと向き合えるように、私自身のスキルアップにも取り組んでいます。
でも、今日のように「相談のように話し始めて、実は折伏だった」と2枚舌を使われると、こちらとしては人間不信に陥ります。もう「悩み相談」は止めようと思ってしまいます。仏教を学びはじめた方なら、「口業の四悪」はご存じだと思いますが、折伏のためには手段を選ばないとするなら、きっと日蓮さまも悲しまれていると思いますよ。
全国のご住職・寺族の皆さまには、どうぞご用心ください。
今日は、気分が萎えてしまいましたので、もうお風呂に入ってゆっくりします。
今晩は「悩み事相談」は、お受けできません。悪しからず。