本当なら、生まれがたい人間に生まれたことや誰とも替えることの出来ない「私」を生きていることをお互いに讃えあいたいのです。
ところが、ロシアとウクライナが関わる戦争だけでなく、国内でも若者が関わる強盗事件や各地で頻発する地震など、心配や不安が募るニュースが毎日のように飛び込んできます。
「誰を信じたらいいのかわからない」
「何を信じたらいいのかわからない」
心配や不安が募ってくると「私」や「私」の身内を護るために、他人に対して疑心暗鬼な気持ちがわき上がってしまいます。
誰もが「自分中心の心=煩悩」を抱えて生きているこの世ですから、私たちはその時々の条件によって、自覚の有無に関係なく様々なふるまい(=わかっちゃいるけどやめられない)をすることがありますね。そして、その時に目に見えたふるまいだけを見て「あの人は00だから」と、価値付けをしてしまうことがありますね。さらに、一旦刻まれた価値付けは、なかなか更新することは出来ません。
「あの人」のふるまいに対して心配や不安を抱えた時、その対策を考えることも大切です。
その上で、「あの人」も本当は□□かもしれないという縁起的視点、
私も本当は**でありたいという根源的視点
で見直すことができたら何かしらの変化が生まれるのではないか、と妄想しています。
今月のお寺の掲示板です。私の大好きな歌からいただきました。
学生さんの通学路・社会人の方の通勤路になっていますので、目に留まったあなたの今日をそっと支えることが出来たら、うれしいな。