ある国のリーダーの行為が、多くの人々のいのちや日常生活を奪っています。遠い昔の歴史や映画の中の話と思っていたような残虐な出来事が、2ヶ月以上も続いてしまっています。
「私は正しい」すべての争いの根はここにある
あるお寺さまの掲示板に心動かされて、源光寺の今月の掲示板にさせていただきました。
この言葉をちらっと見た時、ある国のリーダーに聞かせてやりたい気持ちになりました。
そして、「自分中心に考えてはいけません。私は本当に正しいのだろうか?と謙虚に自身を振り返ることが大切なんですよ!」と叫びたくなりました。
なぜなら、私は、1日も早く戦争終結と現地の生活再建を願っているからです。
しかし、毎日この言葉を目にするうちに、これは誰かに聞かせ教える言葉ではなく、私にあてた言葉だと気づくようになりました。私がこれまで抱えてきた苦悩や怒り、争いや悲しみの原点は「私は正しい(のに、だれもわかってくれない!)」という思い込みがきっかけとなっていたからです。
このことは、人類が長年抱えてきた共通点なのだ、ともお釈迦さまは教えてくださいました。
だから、『仏説無量寿経』というお経には、
「仏が歩み行かれるところは、国も町も村も、その教えに導かれないところはない。そのため世の中は平和に治まり、太陽も月も明るく輝き、風もほどよく吹き、雨もよいときに降り、災害や疫病なども起こらず、国は豊かになり、民衆は平穏に暮らし、武器をとって争うこともなくなる。人々は徳を尊び、思いやりの心を持ち、あつく礼儀を重んじ、互いに譲り合うのである。」
と説かれて、共に仏さまの教えを聞いて生きることの大切さや素晴らしさを教えてくださっていたのです。誰か一人を悪者にして、すべてが解決するものはありませんね。一人ひとりがいのちの真実に対して謙虚になることから、身の回りの変化が生まれ、やがて世の中の平和へとつながっていくのでしょう。