今月は、3ヶ寺(県外2ヶ寺・県内1ヶ寺)のご法話をお引き受けしていました。例年5月は、浄土真宗の開祖である親鸞さまのお誕生をお祝いする「降誕会」をお勤めなさるお寺さまが多いのです。今年は、連休以降も、新型コロナ感染者の急激な増加が見られなかったため予定通り法座が開催され、私自身も無事に3ヶ寺のお寺さまに伺うことが出来ました。
新型コロナ騒動の3年の間、大勢の皆さんが集まるお寺の活動が難しくなったり、ご門徒さんがお勤めになるお通夜やお葬儀の参列者方が少なくなったりと、様々な影響が続いています。
さらには、お通夜やお葬儀の後の七日参りや月参りを希望される方が少なくなってきています。以前のように「大切な方とのお別れが、ご遺族の仏縁の始まり」とはならないお宅が増えてきたように思います。「葬式仏教」という表現で、お葬儀やご法事のみに関わる僧侶が批判された時期がありましたが、今はそれも通り越して「お葬儀やご法事を勤めてもらったらそれで充分」という方々が増えてきているのでしょうか?自分の至らなさも含めて、住職として寂しい思いをすることが多くなってきました。
そのような中でのご法話のご依頼ですから、私自身本当に有り難く、精一杯勤めさせていただきました。それぞれのお寺さまで、日常の予定を差し繰ってでも足を運び、熱心にご法話をお聞きくださる方々のお姿に出遇わせていただきました。「このような時代に、いえ、このような時代だからこそ、仏さまの教えを求める方々がいてくださる」ことに、私自身大いに励まされ、多くの学びをいただきました。
無事にお寺に帰り着き、少し安堵した気持ちでこの記事を書いています。夜には、それぞれのお寺の住職とご門徒代表(門徒総代)さんとの会議(=組会)に出かけますので、短めの投稿で終わります。
(写真は、3ヶ寺それぞれの一コマです)