「お寺の敷居が高い」と思われている背景には、何があるのでしょうか?
(観光寺院以外の)お寺=葬儀・法事という印象を持っている方や、門徒・檀家しか行けない場所だと捉えている人が多いことも、背景の一つに挙げられるでしょうか?
私は、「お寺は地域の共有財産」ととらえていて、これまで《様々な経験を持った人々が集い、信頼できる温かなつながりを育む》そのような交流館を目指して、赤ちゃんからご年配の方まで世代を超えた活動を続けてきました。
子どもたち対象の「お寺の子ども会」「夏休みサマースクール」、大人の方対象の「仏教入門講座」「親なきあと相談室」などは、ご門徒(お檀家)以外の方の参加が圧倒的に多くなっています。このように活動の輪が拡がっているのは、「本来、00寺門徒ではなく、みな親鸞さまの教えをいただく一門の徒(なかま・ともがら)だ」と、学生時代に学ばせていただいたことが基本となっています。
源光寺本堂には、一年間の活動写真を貼りだしたボードがあります。行事に参加する子どもたちやご法事に参られた大人の方々が、空き時間に眺めておられます。
「楽しそうですね」
「たくさんの子どもたちが参加しているのですね」
「こんな行事もあるのですか?」
「私も参加してみたいな!」
写真を見ている方から、いろんなつぶやきが聞こえてきます。
2024年は、源光寺創建370年です。
今年も「お寺で楽しい思い出づくり」をたくさん重ねていきたいです。
「お寺の敷居が高い」と思われている背景には、何が考えられますか?
お寺の敷居が低くなるアイデアも、ぜひお聞かせください。