お坊さんは怒ってはダメですか?

2024年2月14日

穏やかな日が続きました。写真は、昨日の三次市内でのものです。
爽やかな青空を思わずパチリ。夜には、お月さまだけでなく、たくさんの夜空も見ることが出来ました。

「能登地震が起こってなかったら、もっと心が穏やかでいられるのに」
「ウクライナやイスラエルなどでの戦争が、一日も早く終結すればいいのに」
「私たちは、この天気のように、ただ穏やかに毎日を過ごしたいだけなのに」
と思わずつぶやいてしまいました。

能登半島地震の現地では、懸命に復旧作業やボランティア活動が行われています。ただ、甚大で複合的な被害の前では作業や活動が中々進まないとの報道を耳にします。加えて、何も出来ない自分自身へのもどかしさがふと頭をもたげます。東日本大震災の折は、地元のお坊さんと何度も現地に駆けつけることが出来ましたが、今回はまだそれがかないません。避難所生活をされている方々の苦労や先行きの不安を想像すると、胸が痛くなります。

なおさら、政治家の、税金に対する認識の甘さには、腹が立っています。
「誰のための政治なのか?」
「何のための政治なのか?」
怒りは、三毒の煩悩に数えられています。だから、僧侶の一人としてその煩悩を抑えなければならないと思いますが、かといって、これほど為政者の好きなように進んでしまうのはいかがなものでしょうか?
「声をあげないのは、現状を容認したことと同じですよ」
喉元過ぎればという言葉があるように
「どうせ、しばらくすると国民も忘れてしまうでしょう」
と、政治家のほくそ笑みさえ見られるようです。

この憤りを、私はどのように昇華すればよいのでしょうか?
より良い方向へ舵を取り、次世代が誇りを持てる世の中にするために、私は何が出来るでしょうか?

あの日以来、心がゆれ動く毎日です。美しい風景も、単純には喜べなくなっています。

投稿者について

福間 玄猷

1971年生まれ。本願寺派布教使・源光寺第14代住職 別名「絵本のお坊さん」 大阪府茨木市出身。平成8年三次市・源光寺へ入寺。《様々な経験を持った人々が集い、信頼できる温かなつながりを育む》そのような交流館を目指して、赤ちゃんからご年配の方まで世代を超えた活動を続けている。寺院や福祉施設はもちろん、各地の学校や保育所、コミュニティーセンター・いきいきサロンなどに招かれ、「いのち・こころ・真実を見つめる」ご法話や講演を重ねている。また、「子育て支援」「アドバンスケア・プランニング」「グリーフケア」を柱にした研修会も好評。子どもたちと富士山登山を3度完遂。グリーフケアアドバイザー1級/発達障害コミュニケーション初級指導者/つどい・さんあい 運営委員

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